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  COPYRIGHT(C)1998-ARAKAWA KATSUMI,SAIDIA FURAHA wo SASAERU KAI & Hikari Miura ALLRIGHT RESERVED. Illustration by Jin Kawaguchi. 禁無断転載  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現地サイディア・フラハの訪問レポートです。じかなる体験の、生の声をどうぞ。

「信頼関係が重要」
玉木 晴子
 

(サイディア滞在:2012年12月〜2013年6月)
 皆様こんにちは。
サイディア・フラハで住み込みでボランティアを始めてから3ヶ月が経ちました。ここまで短かったのか長かったのかわかりません。
月曜日から土曜日まで決められた時間の中で働き、定期的にナイロビへ製品を届けたり私用を足しに行く。これといって娯楽もなく、カレンダーに書いてみると単調な毎日のようでありながら、思い返せば一日一日色々なことがありました。

 何よりも頭と心を傾けてきたのが、スタッフや子どもたちといち早く信頼関係を築くことでした。何年もここにいられるわけではないから、何事も焦っていたかもしれません。
 今、いくらかの手応えは感じながらも、やはり生まれ育った国も違う、信仰も違う、教えられてきたことも違う、そして習慣と使い慣れた言葉の違う人々の中に飛び込んで、そうすばやく信頼関係が築かれるものではないのだなと、毎日現実を突きつけられているような心持ちでありながら、少し気長にやるしかないかという余裕も出てきています。

 私の日々の仕事は工房で働く彼女らの監督指揮をすることです。具体的には、ナイロビの築地さんから注文のあった製品何種類かそれぞれ決められた数を納期までに終わらすため、彼女らに仕事を割り当て、製品の出来栄えをチェックし、指導もします。
 二月くらい経過して彼女らの仕事の特徴が少し見えてきた頃からは、よい製品ができるよう、働きやすいよう、工房内の環境づくりや道具作りも始めました。本当に小さなことばかりですが、その成果が少しでも製品の出来栄えに現れたときは、大げさにも私自身のここでの存在意義を感じひとり満足したりもします。

 それでもやはり彼女らとの信頼関係がいつでも最重要課題です。
 それが土台にあれば、指導の効果もあがり、いい製品もできます。彼女らも気持ちよく働け、モチベーションも上がるでしょう。私も彼女らの心がオープンであればより多くのことを学べます。
 ケニアの人々のものの考え方、仕事のし方、生き方、夢、その他あらゆることを話して見せてくれたらなと思うのです。

 私がここに到着した12月下旬は間もなくクリスマス休暇に入り、工房での仕事に本格的に加わったのは1月4日からでした。
 そのときから2ヶ月と少し、私が手探りで試みてきたことを振り返りたいと思います。初心忘るるべからずの思いで。

1.工房にて
・ 朝の挨拶はひとりひとりに。皆にまとめて言うことはあっても、一人一人答えてもらえるようアイコンタクトをとるようにしています。
・気を遣わずに注意する。
 普段からなんでも言い合う彼女らを見ていると、回りくどく言うよりは、喧嘩のようになってもビシッと叱る時は叱るほうが清々しく次に進めるもののように感じます。
 そして最近はようやく一人一人の性格や仕事ぶりが分かるようになってきて、こちらも怒って効果がでなさそうなときは間をおいたり、先手を打って注意するようにもなりました。

・スワヒリ語を使う。ひとことふたことでも言えることは言います。ここだけの話、機械を使わない手縫いのときなんかは歌も教わります。

・毎回毎回、納期を区切りにして、よく頑張ったあとは"打ち上げ"にみんなでキテンゲラに出かけます。一緒に軽食をとったこともありますが、町を一緒に歩いて他愛もない話で笑うだけでも仕事上の関係を離れてけっこうスカッとするものです。

2.私生活
・生活のし方を真似る。
 工房のスタッフ含めサイディアのスタッフが暮らす長屋の真ん中の部屋で私は生活しています。ここでの生活のし方はここで生活する女性たちの真似で慣れてきました。
 朝早起きしたらまず掃き掃除・雑巾掛けをして朝ごはん作りです。その後に洗濯物を表に出てバケツに水を汲んで洗って干す。洗濯ひもも、最初はどれを使っていいのか分からず聞きながら使っていましたが、今は私が足した一本も皆で共有しながら使っています。
 また、ときどき現地の食べ物を作って食べます。黙って作って味見を頼んで驚かしたり、作り方を教えてもらって美味しいのを一緒に喜んだりもします。

・手料理をお裾分け。
 してもらったりしたり、月に1,2回程度でやっています。これは日本で知り合ったアフリカの友だちに教えてもらいました。料理を分け合い冗談を交わしなさい、そうすれば心が通う日が来ると。

・やはり生活を離れてもスワヒリ語をちょっとずつでも使います。

・体調を崩したらお互い様。
 こちらへ来て間もなく腹痛で苦しんだときがありました。そのとき隣に住むモラア寮母(私はママと呼ぶ)が労わってくれたのがとても心強く感じられました。
 それからは反対にママや工房スタッフが風邪をひくと柑橘果物をお裾分けしたり、あったかいレモネードを作ります。
 そしてつい最近少し食欲がない程度に体調を崩していたときはまた、ママがレモンを持って来てくれました。

 こういった具合で皆さんにもよくして頂きながら、自分でも心地よさを覚えるほどここでの生活には馴染めてきたように思います。

 ただ、誰となくケニアの人々には、非アフリカ人=お金持ちというのがあるのでしょう、はなから「私たちとは違う」という感覚を持っているのが今でも時折感じさせられます。
 私が少し壊れたサンダルを自分で適当に繕って履いているとき、白いシャツについたしつこい汚れを洗い落とすのに丸一日かかっていたときなどは、"youcan buy new one"と言われます。
 彼女らに嫌味や妬みのつもりはなく、真実だからとサラッと言うのでしょう。
 飛行機に乗ってやって来ている時点でお金持ちと思われるのは当然かもしれないですね。

 通りを歩いていてもムズング!(肌の色の白っぽい非アフリカ人を指す)と言って好意的に挨拶をする子どもたちのなかに、時折ひと言目にお金やソーダをくれと言ってくる子もいます。
 まだ英語で挨拶しても伝わらないような小さな子が、Give Me、は流暢に言ったりもします。

 あるときは私に好意的ですぐに友だちになった女性が、ふとしたタイミングでお金を求めてきたこともあります。彼女を理解したいと思いながらも、好意的だったのはお金を持っているように見えたからだったんだろうかと淋しくなったのが忘れられません。

 それに加え、工房で相手をしているのは18歳くらいから23歳くらいまでの若い女性です。
 年のそう違わない(見た目は年下にも見える)外国人がいきなり来て指図すること自体、簡単に割り切れないところもあるのではないかとも思います。それで更に口ばかりになっては簡単に信頼を失うと思って、せめて

1.絶対に時間通りに工房に来ること
2.いつも何かしらで忙しく働いていること
3.教えることは自分も同じレベルがそれ以上のレベルでできるようにすることを心がけています。

これから日本に戻るまでの数ヶ月の間、何ができるでしょう。
 少しでも多くを学んで、残していけるように懸命に心をこめて働きます。そしてここでの生活もおおいに楽しみたいと思います。

 改めて皆さんの長年にわたるご支援に感謝申し上げるとともに、皆さんのご健康をお祈り申し上げます。美しい花々に囲まれたすてきな季節を懐かしく思います。
 よい始まりの季節となりますように。